2021/10/10 寄稿文
参加してきました。
第56回 京都レガッタ。
第6レース マスターズM1✖️ そこの4レーン
頑張りましたよ。
初めから なんか ひとりレースの雰囲気で。
でも 目標の
最後まで ゴールまでは ちゃんと達成できました。
700mあたりでを漕いでる時に
他の3人のゴールを知らせる ブー、が。
ブー、きっと安達さん、
すぐに 続いて ブー きっとグレンさん
続いて ブー きっと 魚崎ローイングのお方
それをはるか離れた 700mのところで聴いて、
ひとり 黙々と
堂々と
ゴール
別に 拍手は無かったけど。ね。
まあ こんな ところです。
先輩 頑張っているでしょう。
アラセブン 昭和54年卒 ですからね。
失礼します。
昭和54年卒 渡辺道則。
2021/7/31 寄稿文
皆様ご無沙汰しています。赤潮会の会費納入の手紙が届いたので 思い出したようにまた 投稿します。一時 体調を崩して 漕ぐのを休んでいました。さいわい また元気になりまして。
昨日は 国体予選の大会に参加してきました。久しぶりの レガッタでした。
その大会名 正式には 第76回国民体育大会大阪府予選会ボート競技 とかいうようですが。その 成年男子のシングルスカルの部門に。。
結果は 。まあ。。
レース中 審判艇から 「2レーンわたなべ コーズに戻るように」って 何度も何度も注意されました。 いまでもそれが その声が 頭にしみこんでしまって。その声が聞こえるような気がして。。。
それでも堂々4位(ただし出艇数もその数字!)。
レーンキープ いつも 難しいなとは思いつつ でしたが となりのレーンを超えてさらに コーズも外れては初めての経験でした。
何度もなんども漕いでいるいわばホームの浜寺なんですけどね。
次のレガッタは 9月ごろにある京都レガッタ 10月ごろにある神戸のそれ。休診までして 参加するほど のぼせてはいないから 出れるレガッタは限られてはいるのですが。それに 少なくとも9月の末まではワクチン接種の公務が毎日のようにあり 昼休みの 大川漕景も 預けな状態なので。。。
それでも 暇を見つけては 。。
ブログ エルゴのうた http://247152wa.blog.fc2.com/も たまには見てやってください。書き始めてもうかれこれ10年になります。
失礼したします。
昭和54年卒 渡辺道則
海の森に行って漕いできました。
6月16日日曜日。セタロの仲間と。
海の森レガッタ 正式名称は 海の森水上競技場完成記念レガッタ
オックスフォード大学とケンブリッジ大学が来られてエイトを漕がれました。そのレースの隅っこで小さくなってナックルを500m。ほんのちょっとの時間で 合わせるのに精いっぱいでなにも覚えていません。ただ視界にはいくつかのナックルが見えていたからドベではなさそうです。
それにしても 海の森 素晴らしいのができました。一番は手を伸ばせばみずもにふれることができる水に対する親近感かな。そちら錦海漕艇場もそうですが コンクリートの背の高い護岸があってそこからの上から目線で水面を見る そういう漕艇場がほとんどですがここは みづもと地上の高低差はせいぜい40cmくらい。まるでみずもにいるような感じです。だからレースの観戦もボートとほぼ同じ水平の視線でレースを楽しむことができます。きっと海水をせき止めているのでしょうね。でないと潮の満ち干でそれは不可能だから。それに感心したのは波を消す仕掛け。簡単な作りですが効果は絶大です。その日は風速6mとかの強風で岸で日傘をさして見ていてその日傘が吹き飛ぶくらいでしたがみずもは もちろん波はありましたがちゃんと漕げる状態でした。シンスカもちゃんと漕いでいました。これなら台風でもレースはできるなとも思いました。来られていた小池知事曰くここを世界のボート競技の聖地に ほんと そうなってほしいなとの想いです。そいて個人的にはそこでシンスカのレースにでること。どべでもいいから。。。
失礼します。
昭和54年卒 渡辺道則。
第12回全日本マスターズレガッタ。。。
地元浜寺で6月1日と2日に開催されました。
会場の広場にはざっと数えて20はあるかなエイトがその他もろもろ数えきれないほどのボートが整然と並んでしました。
これは壮観いや漕観でした。
土曜日は診察があるから参加できず。本当は本命のシンスカがこの土曜日にあるのでつらい思いをしました。仕方ありません。ボートを再開するときに
ボートを理由に休診にはしない。
と決めたことなので。
だからやむなくそれは断念。
かわりに2日の日曜に2つのレースに出場しました。
一つ目 混成エイト。レースNo.79 カテゴリーF:60~64歳 8時ちょうどスタート。。。
スタートもまずまず でも やっぱ途中からだんだんと差がついて でも最後まで1艇は見ながら漕げたから。。。
二つ目 男子ナックル レースNo.113 カテゴリーG 65~69歳 13時55分スタート。これは500mのレースでした。なんだ500mか、と高をくくっていたらなんとしんどいこと。だいたい300mぐらいで足蹴り10本が入り400mぐらいでラストスパートになりで ゴールはまだかなとそればかり考えてのレースでした。
それでも3艇の敵を見ながら漕げたから
でも 代表いわく 負けたことないクルーだったのにな。。と。
いずれも浜寺マスターズとして参加 一度もそろっての練習はできないでその時本番で初めてメンバーがわかったというクルーでした。
それでもこうやってなんとか。
まあ 少しお荷物か重りになったかもしれませんが そこは。
どうかまたお誘いがありますように。。。
ちなみにこのレガッタの選手の数は1504人、団体数は125 北は北海道から鹿児島まで海外からの参加は1団体2人、エイトは男68クルー 混成13クルー 女子7クルー。。。80歳以上のエイトのクルーは男子で5クルー 女子はなし。。。マスターズだから参加資格は27歳以上とか。。。
米子からは米子漕艇クラブから4人が来られていました。
まあ 今までで いちばん 大規模なレガッタでした。
失礼します。
令和1年6月3日 昭和54年卒 渡辺道則
第72回朝日レガッタ。。。
ちゃんと最後まで漕ぎました。しかも4分台で。。
5月6日月曜日。朝日レガッタの最終日
60歳以上男子シングルスカル 9人のレース。その二組目、レースナンバー174 8時18分スタート
ただ 間が悪く4日前に持病の痛風の発作が起きてしまい右足がズキンズキンと痛んでかつ腫れも相当に。
連日保冷剤で冷却 冷却している間は痛みはうそのようにありません。残念ながらロキソニンの鎮痛効果は確認できませんでした。貴重な経験となりました。
ようやくレース当日の早朝に腫れもだいぶひいてきてシューズがはけそうにまでなりました。でも歩くのは まだズキンズキンと だから やむなくチャリで3時間半かけて琵琶湖に 車にすればいいのにとお思いでしょうが 右の足がそんな状態なのでクラッチを踏む感覚がおぼつかなくかつブレーキもうまく踏めそうになく それでチャリにしました。
そのレース スタートも練習通りできたしレーンキープもなんどかブイにはあったったけちゃんとレーンに収まって。。。
ただ 相手がよくなかった。
シンスカの世界チャンピョンのタイトル保持者の安達さんが僕の左に 魚崎ローイングクラブの猛者の那谷さんが右隣 さらに その 隣は和歌山ローイングの林さん。。。
スタート直後から 雲中一雁状態 でも審判艇が たびたび真横につけてくれたのでああレース中なんだなと。。。
もちろん決勝には進出ならず 敗者復活戦はなくて。。
そのタイム 見事4分台 ただし4分59秒22.。。
まだまだ伸びしろはあるな と。
ちなみに 優勝はその安達さん 2位は那谷さん 林さんは5位 ボクは9人中の8位 ブービーでした。
失礼します。
令和元年5月10日 昭和54年卒 渡辺道則。
第4回西日本選手権競漕大会。
4月20日21日と地元浜寺であったので参加しました。
まだ歴史の浅いレガッタですがそれでも東京からは中央大学とかNTT東日本がそれに長崎からも来られていました。
そのマスターズのシングルスカル、50歳以上のクラスで12人の参加がありました。距離2000mと現役の時も漕いだことない初めてのレースでした。しかもシンスカで。
結果は まあ 予想通りの最下位 タイム10分54秒 目標の11分切りはできまた。
でも あと5秒速く漕げたらその最下位は免れるようでした。ならまだまだ可能性はあるのかなと。
参加者の年齢を見たらそれは2位。最年長は同じクラブ瀬田漕艇倶楽部の安達さん70歳 その安達さんボクが現役の頃の朝日レガッタのシンスカの優勝者 それも何年にも渡っての。東レ滋賀。。その安達さんはレースは2位でした。
まだまだ 行けるな。。。。
この安達さんを目標にこれからも です。
次は朝日レガッタ これも なんかレベルますます高そうで いつになったら最下位を脱出できるのか。。。
先は長いようです。
失礼します。
昭和54年卒 渡辺道則。
大根島。。。
大根島への遠漕。きっと最後の学年までちゃんと参加したように思います。そうとうしんどかったけど。
強烈な印象はまだ湖山の教養の時に参加した時のこと。その頃の米子の先輩方は雲の上のような存在でした。だいたい湖山から米子に進学するのに大きな関所がありました。ドイツ語の永沼教授 その試験はとても難しくて学年で20人ぐらいはそれで落とされて米子行きが一年先となりました。当時は医学進学過程とか言ってまだ医学部に入った 合格したという実感がなくて それもあって不安な頃でした。それでも先輩のお誘いでその大根島まで漕いだことで何としてでも米子に進学してボートするぞとの強い決意が。しかも米子ではシェル艇に乗れるし。。と思って頑張りました。おかげで湖山で留年もせずに、さらには米子でも留年することなく。
後で知ったことですがその大根島 志賀直哉の暗夜行路に出てくるんですね。
「中の海の彼方から海へ突出した連山の頂きが色づくと、美保の関の白い灯台も陽を受け、はっきりと浮び出した。間もなく、中の海の大根島にも陽が当たり それが赤エイの伏せたように平たく、大きく見えた。村々の電燈は消え、その代わりに白い煙りが所々に見え始めた。。。。」
やはり志賀直哉の文章はきれいです。リズムもいいし。。。
・・・・・・・
瀬田漕艇倶楽部で大根島のことをお話したらこのことを教えていただきました。瀬田漕艇倶楽部 クラブではなくてあくまで倶楽部。。。
そこにはいろんな分野の会員がいて医者という狭い世界に生きていては知らないことをたくさん教わりました。
このこともその一つ。。。でも、、、
そのお方先日練習中に胸部の大動脈瘤が破裂して突然鬼籍にはいられました。78歳でした。阪大の文学部を卒業されたお方とか。。。
まあ 考えたら幸せななくなり方なんかなと。。。。
昭和54卒 渡辺道則
たかがエルゴ されどエルゴ。
第31回近畿マシンローイング大会に参加して思ったこと。
だいたいそれはボクが現役の時はなかった。あったのはバック台。バック台は負荷をかけるのが難しかったから エルゴみたいには利用されなかった。大きな鏡の前あるいは横にそれをすえて。。。でも それ好きでよく一人でやっては悦に入っていた。
今風のバック台エルゴ その大会でした。参加選手800名 関係者を入れて1000人ものヒトが集まりました。主催はわが瀬田漕艇倶楽部。もちろんそこでは医療班としておつとめをしました。
成績は予定通りの8分40秒 レートもせいぜい28どまり ただ 友人の撮ってくれた動画を見ると やっぱ 蹴れていないんだ。ホームは確かにそこそこむしろ漕ぎなれているなって風格さえも見られる。ただタイムがこうということはやはり。。。
今ボートの練習はB-1とかいう方法が主流とか。要はレートは20ぐらいの低めで一本一本その ホーム リズム 力の入れ具合を考えながらする それを10000m しかも2セット。 まあそんな時間も距離も自分にはできないからそれをモディファイした半分自己流のそれで。それを向こう1年の目標にして。。。
大会でいろんなお方にお会いしました。みなさまボクと同じくらいの年齢です。それがマスターズのエリートレース。東大の氏家さま 一ツ橋のお方。早稲の。。。それに米子漕艇クラブの前谷浩さまとはちょうど入り口で鉢合わせになったので言葉をおかけして挨拶を。
木村君のことはよく知っておられました。難波君のことも(君なんて失礼ですね。難波教授と訂正します。)
こういう風に知己を得て 自分を側面から支えるような形も入れてボートの世界にどっぷりと。。
そしていつかはマスターズのエリートレースに出れることを夢見て。。日々精進を。。。
31. 1.21朝 昭和54年卒 渡辺道則。
城山ランニングの想い出。
乗艇前だったか漕いだ後だったかもう忘れましたが毎日走っていたような。苦しかったけど楽しかったな。
ランニング一丁 良くてTシャツ一枚 それに半ズボン。よくてジャージ。
時には裸足で。
先輩の瀬口さんとか飯田さんとかははるか前を 同期では木村君がダントツで速かったな。続いて松崎君 岡野君 浅田君そしていつもドンケツは ボク 渡辺。
6年間で一回だけ浅田君に勝ったことがあります。たったの一回だけ。浅田君はいつもボクの5mぐらい前を走っていました。それをなんとか追いつこうと思ってもそれができない。そうこうしているうちにもう艇庫についてしまう。きっと距離にして一周2kmぐらいのような。
シーズンオフには一回だけ片道10kmの境港まで それも いつも ドンケツでした。翌日なんか足が痛くってふくらはぎにこむら返りがなんどもきて。
ふつうの日は県境までランニングをしたような。今はどうなんでしょうね。冬場は。
大川も浜寺も瀬田も真冬でも漕いでいるし東京の戸田でももちろん真冬でも普通に漕いでいるみたいだし。
昨年の9月 クラス会があったので 久しぶりに米子へ。もちろん 真っ先に行ったのは艇庫 それに出席した岡野君もそうだったとのこと。真っ先に艇庫へ。。。
ちょうど6回生の時に今の新しい艇庫ができて エイトが来て。でもその日も翌日もシャッターが固く降ろされていて中は見えずでした。
あのシャレコウベどうなったのかな 古い艇庫の時はそれが宝物みたいに鎮座していたのだけれど。。
そして翌日早朝 いちおう 城山一周ランニングのつもりだったけど半分ぐらいで左足が痛んで来て。。。
もうかれこれ卒業して40年もたつのだから 走れないのは あるいは 当然なのかなと。。。。
平成31年1月19日(土曜日)明日の近畿マシンローイング大会を思いつつ。。
昭和54年卒 渡辺道則
今年は。。。
この投稿ページ 皆様あまりお使いにならないみたいなので代わりに私が、にぎやかになるその日まで。。。
今66歳6か月。もう人生の先はかなりはっきりと見えてきました。それにあとどのくらいその人生を楽しめるのかもかなり有限になってきました。残りの人生をなるだけ自分の時間に利用しようと思っています。
数年前に再開したボート何度かもうやめようかなと思ったけど不思議と今でも。学生時代は半分燃焼半分不燃焼で過ごしたからなのか今頃になってそれに情熱が。幸い境遇がそれに対応できているので。
朝は通勤途中に艇庫に立ち寄り少しだけエルゴを そのあと大川での阪大医学部と大阪市立大学のボート部の練習光景を愉しみながら仲間と体操を30分
昼休み 電車に乗ってかれこれ40分でその艇庫についてシンスカを小一時間漕いで。こんな生活をしています。朝とそのことはブログ エルゴのうた
http://247152wa.blog.fc2.com/ に。昼のそのことは 大川漕景と題して瀬田漕艇倶楽部のマスターズのブログhttp://setarcmasters.jugem.jp/に投稿して。漕いでは書くを信条にしてそれを楽しんでいます。ただ戦績は クルーボートではまずまずなのですが本命のシンスカでの優勝は3年前の京都レガッタのこの一件のみ
でも 今年こそはと 意気込んでいます。同じ大川で同じ時間に漕いでいる86歳のおじいさんローヤーを目標に。
平成31年元旦。 昭和54年度卒 渡辺道則。
ボート 再び。
数年前よりボートを再開しました。
所用で瀬田川に行った時 そこで 悠々を漕いでいるシェルフォアを見て急に学生時代のことを思い出して無性に漕ぎたくなりました。
ネットで調べて瀬田漕艇倶楽部という社会人でも参加できるクラブを知りそこに入会させていただきました。
たまたまそこには生命科学の卒業生がおられて心強く思いました。
その後何度かもうやめようかなと思ったこともありますが今も続いています。
幸い自宅と医院の中間に大川がありそこに愛艇を置いて 昼休みの暇な時に時々ひとりシンスカを楽しんでいます。
なかなか速くはなりませんがそれでもシンスカで朝日レガッタに出ること今年で2回目 成績は。。。ですけど。
一応自分では満足なレースができたなと思っています。
夢は母校のシンスカをお借りして懐かしい錦海でそれを漕ぐこと。
駄文 失礼します。
昭和54年度卒業 渡辺道則